2010/02/07

ファンタジー


そういえば、ロンドン出発前にある取引先のお店(A)から
こんな電話がかかって来た。
ファーニッシングの前シーズンのそっくりそのまま
同じデザインの服が他の店にありました。と。
生地は違うし、ファーニッシングではない。
(A) の店員さんが見に行って、
その商品を見ながら質問するとそこの店員さんが言うには
私がデザインしましたと1度はおっしゃったそう。
その後、もう一度(A)の店長さんが行ったところ、
デザインしているのは別の会社の人だと。
言っている事が違う。
ぎょ、ぎょ、ぎょ。
一瞬むかっとした。
パクリだ!
うちみたいな小さなレーベルなのにこういう事が起こりえる。
世の中、ぱくり、パクられ、の世界だし、
服のデザインは法的に保護されない。
だから、今は気にもしない。
それより、やった本人、自分がいやじゃないのか?

時を経てこの時代まで生き残った物や、あるデザイナーへのオマージュを込め、
作り手の解釈でやる事は
私は筋が通っていると思う。
これはパクリではない。
そこにリスペクトがあるから。

ファーニッシングが作る物は人間が着たり身につけるものだから、建築の様にサイズも変わらなければ人の容姿、サイズは殆どかわりがない。
古代人が衣類を身に着けて以来、オートクチュールを経て既製服中心になった今、
衣類の形はもう出尽くしたのかもしれない。

そして物はあふれている。
嗜好品はないならないで困らない。
日本は裕福になり、人々は必要な物は一通り所有している。

でも、なんで人は買い物したいかというと
ファンタジーを求めているのだと思う。
これをきたら、自分がどう見えるか、どこに行きたいか、
とか女なら考えるはず。
運動靴を買うのとは訳が違う。
お客様も毎シーズントキメキを胸にワードローブに
加えてくださるのだとおもう。

私は永遠に消費者の心でいたい。
自分のデザイン以外でもときめきたい。

私は、そんなファンタジーを作るという仕事をしている訳で、
私はリスペクトとファンタジーを忘れずに
これからも物を作っていきたい。

服にjoyとloveをこめて。